「有名人になる」ということ 其の弐

こんにちは、ヘッタ・チャンです。

前回紹介した勝間和代氏の「「有名人になる」ということ」の続きです。

投資家としてファンがついている方も多いと思うので、その関係性についての記述や必ず湧いてくるアンチについての考察など参考になりました

以下備忘録

ファンには三段階あるように感じます。
ファン第1段階(ファン度低) その人が供給するサービス・コンテンツが好き
ファン第2段階(ファン度中) その人が供給するサービス・コンテンツに現れるその人の才能が好き
ファン第3段階(ファン度高) その人のすべてが人として好き、応援したい
おそらく、ファンクラブの会員さんは第3段階でしょう。なぜその人を応援するかというと、自分が持っていないけれどもほしいものを満たしてくれて、それで幸福感が増すからだと思います。
さらにそのほしいものも、次の2種類に分かれると思います。
その1  自分がそのカケラを持っているので、その人を参考にすれば、自己実現の手助けをしてもらえそうなもの
その2  どんなにひっくり返っても手に入らないので、代わりにその人に自己実現してもらうもの

 

マーケティングの世界では、「アドボカシーマーケティング」という言葉が注目されています。
顧客との関係性を重要視して、よいことも悪いことも包み隠しなく相手に伝えることによって、信頼性を高め、たとえ短期的には商売にはつながらなくとも、長期的には相手の信頼を勝ち取って、顧客にとっての価値を高め、結果として企業のリピーターとしてつなげていくという発想です。
日本では『ザッポス伝説』という本で語られていますが、オンラインで靴を販売するザッポスというショップは、顧客の好みに合わせて同業他社の商品を紹介したり、あるいは間違えてピザの発注が来てもそれを取り次いだりするような、これまでにない手法で大きく成長しました

アンチファンについては、存在するのだということを認識すること、
そして、アンチファンを発生させてしまうような不用意な言動は、学習しながら可能な限り避けていくこと、さらには、こちらを見ると不愉快になるような人たちの前に、むやみやたらに露出しないこと、そういったことしかできないと思うようになりました。
また、逆に、わたし自身、いろいろな人にちょっとした印象だけでレッテルを貼ったり、きらーーーいと思うようなことが、どれだけ危険で、相手を傷つけることなのか、逆の立場になってはじめて身にしみてわかりましたので、そういう気持ちになることを戒めるようにもなりました。そうすることによって、相手のことがよくわかり、すると、その人のいいところもよくわかり、人の輪がいっそうひろがっていったように思います。

のちに、『競争優位で勝つ統計学』(ジェフリー・マー著)という本を読んだとき、目からウロコが落ちました。目が覚めたと言ってもいいかもしれません。
「結果を重視してはいけない。 確率的に高い割合で勝算があるものにチャレンジし続けているかどうかを重視せよ。 正しい意志決定をしている場合には、 短期的に結果がともなわなくとも、中長期的には必ず勝つのだから」
その文章で、自分が何を失敗したかを明確に悟りました。

「特定のセグメントの人に知られている」
ということと
「不特定多数の人が知っている」
ということ
そこには、大きな大きな隔たりがありました。
特定のセグメントの人が相手を知っているときには、比較的好意的です。
仲間として興味があり、その人の活動に興味があるからこそ知っているからです。だから、応援して、自分たちで育ててあげよう、という気持ちにもなります。
ところが、不特定多数の人が知っている場合は、必ずしもそうではありません。
自分はあまり興味のないセグメントの人を、マスメディアのような限られた情報から知るわけですから、好きになりようがないわけです。しかも、見たくもないのにテレビをつければしょっちゅう目にする、となれば、不快にすらなるでしょう
いちばん多い時期で、前述したとおり、新聞三紙、雑誌五誌、テレビレギュラー四本を同時に行っていました。
これも、どこまでできるかやってみたかったからでもあります。場を与えてもらったことには、ほんとうに感謝しています。
ただ、その結果、わかったことは、
・とりあえず、毎日、何か締め切りが来て、精神的に落ち着かない
・ひたすらアウトプットの繰り返しなので、新しいことにチャレンジできない
ということでした。しかも、これほど忙しいのに、いまひとつ顧客の幅はひろがらない。
理由は簡単でした。すなわち、いつも同じ人が読んだり見たりしているところに、毎週出続けていても、最初の数週間、あるいは数ヵ月を超えると新鮮味がなくなり、一定の興味を持ってくれる人は早々にファンになってくれて、そうでない人はそのまま、ということで、いわゆる経済学でいう   「限界効用逓減の法則」   がはじまってしまうのです。

連載やレギュラーは、スケジュールも埋まるし、定期収入も入るし、多くの人に触れられるし、とても大きなメリットがあります。しかし、「有名人ビジネス」という観点から考えると、リスクも大きく、かつ、コントロールもききません。

わたしの好きな言葉に、「信賞必罰」というものがあります。
すなわち、がんばったらがんばった分だけ結果がついてくるし、失敗したらそれにともなって評価が下がる、という単純なしくみです。
最終顧客との間に第三者が介在してしまうと、この単純なしくみがなかなかうまく働きません。
最適な努力をしても結果がともなわないと、「学習性無気力」、つまり、やってもしかたがないということを無意識のうちに学んでしまいます。それは、たいへんたいへん危険なことです

有名な人ほど、謙虚すぎるくらい謙虚に振る舞う、というのは「いろはのい」としても、
わたしが初期のころに受けたアドバイスとして、
「金銭的な利益を独り占めせず、なるべく多くの人と分け合うこと」
ということがありました。
平たく言うと、業績連動型の収入を自分だけで独り占めして、他の人たちが給料型で働くと、必ず歪みや不公平感が生じる、というのです。だからこそ、たとえばスタッフであっても、実績に応じたボーナスを気前よく払ったり、場合によっては印税シェアリングモデルにしたりするのです